きっと自分の命の先まで続く、自分の写った写真

生まれる9年前の写真を見たがる娘

 自分にとってデジタルカメラで撮った最も古い写真は、2002年11月のものになります。新婚旅行でタイを観光したときに妻と撮った写真です。日韓ワールドカップのタイミングで大々的に売り出された富士フイルムの400万画素カメラ「FinePix F401」を持って、生まれて初めての国際便に乗ったことを覚えています。

 20年以上も前の写真に関わらず、そんなに昔の感じがしないのは、「おもいでばこ」でよく目にするからです。我が家ではカレンダー表示で観賞するのが基本になっていて、そうなると始点は最古の写真がある2002年のカレンダー画面となります。

 だから、家族で「久しぶりに『おもいでばこ』、見よっか?」「見るー」となったときは、まずこのタイ旅行のサムネイルが目に入ります。そのまま2002年の写真を観賞することもあれば、パパパッと飛ばして最近の年代に進むこともあります。

 先日、スマホにたまった写真を転送した後、娘が「ついでにタイの写真見ようよ」と促してきました。言われるままにスライドショーにすると、「これこれ、このお母さん可愛いー」とか言って嬉しそうにしています。

娘はこの旅行の9年後に生まれました。しかし、物心ついた頃から「おもいでばこ」でたびたび目にしているため、かなりお馴染みの写真になっている感があります。なんだか不思議です。

 写真に賞味期限、ならぬ鑑賞期限みたいなものがあるとするなら、この2002年のタイ旅行写真の期限は娘が生きていて、観てくれる間はずっと続く可能性があります。もちろん途中で飽きてどうしてもよくなるかもしれませんが、とりあえず、私たち夫婦の命と一蓮托生ではなくなった感じ、囲い込んでいる感じはなくなりました。

 この延命(?)現象はたぶん、「おもいでばこ」を使っているから起きているのだと思います。

デジタル写真がデジタル遺品にならない装置

 私は故人のスマホやデジタルデータといった、いわゆる「デジタル遺品」の調査や執筆活動をライフワークにしています。

 これまで取材を通して、故人の預金口座やサブスクリプション契約、思い出の写真などの大切な持ち物がどこに保存されているのか分からずに、大変な苦労をする遺族をたくさん見てきました。スマホの中にありそうなことは分かっているけれどパスワードが分からずに手が出せなかったり、クラウドサービスに保存されていることにずっと気づかずに放置していたり。

 相続も世代交代も昔から脈々と続いているのに、なぜデジタルが絡むとこうした悲しいことがたびたび起きてしまうのか。その一つの理由は、デジタルの「見えにくさ」にあると思っています。

 デジタルは編集も管理も自在にできて便利ですが、自由度が高すぎて持ち主以外からはよく分からない存在になりがちです。そんなよく分からない存在のまま、持ち主がいなくなってしまったら、残された人たちは当然困ってしまいます。持ち主が知恵の輪をグシャグシャに絡み合った状態にして、いなくなってしまう感じでしょうか。

 しかし、デジタルの便利さを享受しながら、この問題を解決する方法は2つあると思っています。

 ひとつは、万が一のことがあっても、残された人たちがきちんと引き継げるように持ち主自身が備えておくこと。いわゆる終活ですね。

私も、いざというときに重要なIDとパスワードだけ家族に伝わるようにするといった「デジタル終活」をことあるごとにお勧めしています。

 そしてもうひとつは、持ち主を増やすことです。持ち主が一人だけだと、その人の身に何かあったときに手出しができなくなってしまう危険があります。

しかし、2人、3人と扱える人が増えれば、誰か一人に不測が起きても皆の持ち物は安泰というわけです。

 「おもいでばこ」はまさしく、家族写真におけるそういう場だと思います。

何十年もエピソードが繋がる道具

 リビングのテレビに「おもいでばこ」をつなぐ前は、家族写真を私のパソコンに保存していました。思い出を鑑賞するときは、私の仕事場に妻が来て、私がパソコンを操作するというスタンスでした。妻がデジカメやスマホで撮った写真も、数ヶ月に一度のペースでコピーをもらい受けて一元管理していました。それをごく当たり前に続けていましたが、考えてみれば私以外がオペレーションに回れない不便な習慣でした。

 「おもいでばこ」なら、テレビのリモコン操作ができれば誰でも一通り扱えますし、スマホに好きなアプリをインストールしたことがある人なら、専用アプリを使って写真や動画をアップロードしたりすることも簡単です。

 閲覧も操作も人を選ばない。それでいて、リビングにあるから共有もしやすい。そこがやはり強みでしょう。

 思い出の写真というのは、撮影したときのエピソードと鑑賞したときのエピソードが積み重なっていく存在だと思います。やはりリビングにあって、家族皆が扱えるほうが閲覧の機会は多くなるので、思い出の厚みは増しているように思います。

 私は学生時代から新社会人時代にかけてデジタルに親しむようになった世代です。子ども時代の写真は後からデジタル化できたとしても、やっぱり元はアナログなのです。だから、デジタルが生涯を覆い尽くす媒体という感覚が持てません。

 しかし、おそらくは自分が死ぬまでにデジタルで写真や動画を残す文化が消えることはないでしょう。きっとその後も。

 何十年先も先のことを考えると鬼が何十連発で笑うかもしれませんが、それでいいんです。自分が撮った写真に娘が鑑賞しながらエピソードを足していって、もしかしたら、その下の世代、さらにまた下の世代まで楽しんでくれるかもしれない。1枚でも2枚でも、そういう写真が残れば嬉しい。「おもいでばこ」は、そういうタイムスケールで想像を膨らませることができる道具だと思います。

 これからも「おもいでばこ」を何台も乗り換えながら何年も付き合っていくと思います。それでもきっとスタートは2002年11月だと思います(スキャン欲が高まらない限り・・・)。

本記事のライター

古田 雄介(ふるた ゆうすけ)

 1977年、愛知県生まれ。名古屋工業大学工学部卒業後、ゼネコンと葬儀社を経て雑誌記者に転職。2007年にフリーランスとなり、2010年から亡くなった人のサイトやデジタル遺品についての調査を始める。

 主な著書に『ネットで故人の声を聴け』(光文社新書)、『故人サイト』(社会評論社)、『デジタル遺品の探しかた・しまいかた、残しかた+隠しかた』(伊勢田篤史氏との共著/日本加除出版)、『スマホの中身も「遺品」です』(中公新書ラクレ)など。
https://www.ysk-furuta.com/

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